関西弁という言語

id:kensuke_nakataさんへの解答。id:indigoworks:20030407#1049736626とも絡めたりしつつ。
たしかにボケるという点から見れば、相手の発話を予測して会話する、というパターンは実際にありえる。あ り え る が 。
実際には、そういう会話にあまり頻繁に出会うことはない。関西の中でも所謂「おもしろい人」達は存在するが、関西人全員が会話をおもしろく演出するということは、まずありえない。とかく関西人全員と一般化されやすいが、それには僕自身本当に辟易している。東京のほうにだっておもしろい人はたくさんいる。話術という面から見ても。
東京芸大を受験した時に、時間が余ってたので、上野公園でやってるバルーンアートのおにーちゃんを見た。バルーンアートそのものはおもしろくはない。ただ、彼の話術がおもしろいのだ。(概して東京は漫談として成り立つような形式がおおい。綾小路きみまろとか。爆笑問題の太田も、ネタを構成しなおせば漫談として成立するだろう。扱うネタは毒舌、自虐が多い。)無口で風船膨らましてキュッキュキュッキュやられてもつまらないだろう。
それでも、関西人全員として一般化される理由は、やはり東京の人たちのそれよりも、全体にしめる言葉のおもしろい人の割合が高いからだろう。一般化は困るが、そのウエイトの高さは認めなければならない。
では、その要因は何か? やはりそれは感覚を養うだけの文化が大阪にはあるから。例えば小学校のころ、土曜は半ドンだから家で昼ごはんを食べる。その時間はちょうど吉本新喜劇の時間だから*1、お昼を食べながら吉本を見るのが、土曜日の習慣という家庭は結構ある。それに週末の土日は必ずどこかのチャンネルで漫才をやっているし、どこのクラスにも、常に笑いをとる人気者は何人かいる*2。そういう環境の中に生まれてからずっと浸っているわけだから、知らず知らずのうちに、話術のテクニックなどが見につく人が多くなってもおかしくはない。あくまで、多いだけだ。一般化は困る。
ぜある場合には話の流れがよくなったり、リズムやテンションが上がったりするのだろう?というのは、必ずしも関西の人間に限ったことではないはず。お酒がはいると陽気になったり*3、趣味や感性の合う人間どうしで喋っていると、時間の過ぎるのが早かったりとか。関西の人には、それプラス、笑いにもっていこう、という人がおおいから、テンションがあがると、より一層その傾向が強まるだけだと思います。というか、ただそれだけの話。

*1:今は日曜の1時から。学校の週休5日制対策?

*2:全国レベルだとクラスに1人とかかもしれないが、、、

*3:実は、僕がこのパターン。最近になって自己発見。