Snow in Saigon(はてなダイアリーが選ぶ名盤百選)

今回執筆するにあたって、自分の好きな曲しか書かなかった。別に書いてもよいのだけど、好きな曲から書き出したら時間をかなりとられてしまい、早くアップロードしたかったので、省略した。書いてもよいとは言ってみたものの、正直なところ、やはり好きでない曲は興も乗らず、筆も進まない、ということだ。もしこのレビューを読んで、僕が書いた好きな曲の解説、曲への想いを読んで興味を持つ、或は逆に書かれていない曲のタイトルに興味を持つ、どちらでもいい。もしその興味がこのCD購入に繋がり、かつ僕の好きでない曲を気に入ったら、その時は是非レビューを書いて、僕の気を惹いてみてほしい。僕は常に、自分以外の感性と嗜好に触れてみたいから。それが自分に合うかどうかは、その後判断すべきこと。
それでは、Here we go!

M2: Libra Negra

このタイトルには意味が存在しない。完全なる造語であり、ジャケットには「meaning less text」と銘打ってある。さらには歌詞は彼のハナモゲラであり、こちらもジャケットに「phonetically invented languege by Osamu」とある。僕の現在開店休業中の本家サイトであるindigoworksにはアクセス解析を仕掛けてあるのだけど、たまに「LibraNegraの意味」とかいう単語で検索をかけてやってくる人がいる。まあ、Libraは「自由」に関連してそうな気もするのだけれど。
この曲は大きく分けて3パートに別れている*1。仮にABCと名前をふってみるとして、最初のAパートは、この曲の大きな顔であり、主題部分である。ストイックにリズムを刻み続けるストリングスを背に、Osamu本人の声を多重録音したクワイヤが叫び続ける。主題が2度繰り返される(0:11)と、フィルにティンパニーが転がり、展開部へと突入(0:13)する。この展開部のオケはまず幾重にも重なるストリングスが緩やかに流れ、途中(0:23)からピアノのアルペジオが参加する。そして再び主題へつなげるべく、主題突入直前(0:33)に、ピアノがまるで体操の大業を連想させるような指さばき、いや腕はこびを見せつけるのだ。そして2度目の主題が終わる(0:58)と、こちらも再び展開部へ突入。ただし、この2度目の展開部では、オケはピアノがメインとなり、リズム楽器が参加する。リズムは基本的に馬の蹄音をイメージする音色で、シェイカーやマラカスのように、細かいリズムを一定に刻んでいる。この他に金物*2がジャズっぽいリズムで刻み、そのリズム隊の上を、ピアノがリズミックに走り回る。そう、主題で流れるストイックなストリングスとは対極的に、ピアノは裏を多く含んでいるのが印象的だ。ただ、裏を多く含んでいるとはいえ、アメリカ臭いジャズのテイストではない。あくまでもヨーロッパの香りだ。このような軽快でありつつヨーロッパのテイストを感じさせるピアノソロ*3は早めのテンポを持つ彼の曲に多く見られ、Osamu節と呼ばれている。この2度目の主題は、馬の蹄鉄に、金物はナイトが交える剣裁きが、まるで中世ヨーロッパの決闘を彷佛させる。そして、縦横無尽に駆け巡るピアノが、その決闘を囲むように撮り続けるカメラの視線、あたかもプロモーションビデオのワンシーンすらイメージさせてくれる。
2度目の展開が終わる(1:35)が終わるとブリッジに突入し、彼の歌声は初出の旋律を歌いだす。さらに途中から(1:36)は、まず基本リフであるストリングスが再登場し、ほどなく彼の歌声も再登場し、Aパートを締めくくる。(1:59)
続いてBパートである。Bパートは総じて電子系の、いわゆるテクノっぽいダンスミュージックである。おおよそ、彼の音楽的センスとは感じられないが、それもそのはず、このBパートは彼の友人が作ったものである。*4まず最初はなんの素っ気もない電子音が甲高くその始まりを宣言するが、その直後に(2:01)女性のラテン系の言語とおぼしきセリフが入り、そのセリフが終わるのと呼応するように、その電子音が挿入される。その後男性の声で同じようなセリフが入り、また女性のセリフが入る。必ずセリフの後には電子音が入り、それは無線機での会話を連想させる。
その後はセリフシーンから続く穏やかなシンセパッドと、細かく刻むスネア、ハイハットがしばらく続く。しばらくして(2:29)からは4つ打ちキックと裏打ちハイハットが途中参加し、さらには空き缶を叩くような少し拍子抜けた音が、4段階の音階に分かれて軽快にリズムに参加してくる。(3:00)とほぼ同時(3:07)に、ディストーションギターっぽい音*5がフェードインし、リフを奏ではじめる。これでBパートは集大成を迎えるわけだが、その手法、音色ともにダンスミュージックのそれであり、Osamu本人の調味法でないことは明らかだ。
そしてBパートが終わると同時にCパートが入るわけだが、その間に1秒ほどの余韻(3:58-3:59)的な隙間があり、その僅かな時間の中に、計算され尽くされた音が埋めこまれている。聴き手に違和感を促し、大団円へ引継ぐ、そんな音のテクニック。Cパートは再び彼の多重ボイスとストリングスのリフが登場するが、彼の歌い方が変化しているのと、8ビートでドラムセットが入っていること。それによって、Aパートとは異なるパワフルさが感じられる。そして特筆すべきなのは、オブリガート*6である、ホーン系のシンセリードが、泣く子も黙るOsamu節で大爆発。まるでのたうちまわる龍かほとばしる稲妻の閃光のように、聴く者にインパクトを与えている。そう、それこそシーケンサ*7でこのシンセソロを打ち込めば、まさにうねる龍のような音符並びが再現されるはずだ。さらに追い討ちをかけるがごとく、途中から突如として裏打ちシンバルが乱れ入ってくる(4:42)。裏打ちだけに、なにか奥から手前に向かってくるような印象を受けてしまう。そして終焉を悟らせる、リズムトラックの途中退場(4:58)。静かにリフだけが余韻を歌い上げ、ピアノは、絶頂を迎えた後の後戯よろしく、丹念に指を鍵盤に走らせる(5:13)。そして永遠に続くかとすら思われるリフが突如として(5:27)終わる。だが、それはフェードアウトなどで終了するよりは、よっぽど潔い終局の迎え方だろう。

M4: Piosenka [A song]

この曲はボーカル曲である。しかも、LibraNegraとは違い、ハナモゲラではない、既存の言語*8で歌われている。曲構成そのものは3パートに分かれており、1回目のコーラス、2回目のコーラス、そして3つめは倍テンポ*9による大サビ的なものである。
ジャケットにはOriginal Polish words by Marian Gawalewicz(1852-1910)と書かれているが、ネットを検索してみても、この詩人とおぼしき人物の詳細は、日本語はおろか、英語で得ることはできなかった*10。彼はこの詩にメロディをつけ、自ら歌い曲としたのだろう。そして1st chorusはこの詩の英訳を、2nd chorusはポーランド語のままで歌われている。以前僕はここで引用したこともあるけど、是非彼のサイトを訪れて、歌詞をチェックしてみてほしい。
1st chorusは英語で歌われているが、歌詞の聞き取りが難しかった。itがifに聞こえたりして。彼はイギリスに長く住んでいたようだから、イギリスの発音なのだろうか。1st chorusでは、すきま風を連想するようなSEとともに、重厚なシンセパッドとともに始まる。その思わずコートの襟を立てたくなるような冷たいハーモニーは1st chorus全体に渡って鳴り響く。そして、1st chorusの終わり近く(1:26)秒で、次のセクションへ映るべく、引き継ぎのチャイムを、ピアノが宣言するのだ。
2nd choursは歌詞がポーランド語となるだけで、意味は同じだと思われる。が、オケはピアノ、ドラム、ベースの、いわゆるピアノトリオ編成に変身。ドラムはシンコペーションをふんだんに取り入れてねちっこくねちっこく刻んでいるが、テンポが緩やかなので、逆にそれぐらいのほうが収まり良い。特筆すべきはベースがシンセベース*11であるということ。本来ジャズなどでピアノトリオをする場合はウッドベースが好まれ、やむを得ない場合でもエレキギターベースを使ったりするのだが、ここでシンベを用いるあたりが彼の音楽的嗜好と心憎さを感じさせる所為だろう。ロック系の人などは、ベースにシンベを用いることを嫌ったりする人も多いが、それがなぜかこの曲ではソフトに馴染んでいる。余談になるが、彼のサイトにあるpresto解体新書において、ベースの音色は、アタック音*12ウッドベースの音色を置き、減衰部分はウッドベースに比べて減衰の長いシンセベースを置くということでリアルに聴かせる手法を公開しているが、この手法をとっていないということは、この曲がpresto以前の作品ということなのだろうか*13。実は1st choursも同じことなのだが、この歌詞はいわゆる中学の音楽授業でも習う、二部形式であり、これまた卑近な書き方で、A-A'-B-Aという構図になっている。このBの部分(2:01)でベースとドラムがブレイクし、ピアノのアルペジオと復活したシンセパッドがオケを引き受ける。そして最後のA(2:14)であるセクションは、なぜかピアノは途中放棄し、コード楽器の役割を、シンセパッドが引継ぐのだ。ベース、ドラムはそのまま。さらにもう一度最後のAを突如英訳で繰り返し、怒濤の第3パートへ突入する(2:41)。
新たな場面転換は初っ端から慌ただしい(2:41)。ドラムは突如倍テンポの打ち込みトラックに変更し、しかも16ビート。そしてその疾走感溢るるリズムトラックの上を、縦横無尽に駆け回るピアノのOsamu節が、これでもか、これでもかというぐらいに、聴き手に対して超絶技巧を見せびらかす。それは玄人スキーヤーの描くシュプールに見えるかもしれない。だが、彼の指使いには見せつける、見せびらかすということについてまわるような、厭味は一切感じられない。いや、それを感じる以前に、その旋律を弾いている最中に彼が感じる興奮と快感が、ソロの音一粒一粒を聴くだけで伝わってくるのだ。なまじ僕がピアノを少し弾けるからかもしれない。もちろん、Osamu節のような怒濤のソロプレイは無理だ。だけど、僕にこれがもし弾けるとしたら。この音の一粒一粒を聴いているだけで感じる相当以上の快感が得られるのだろうなと思える、そんな興奮と羨望が入り交じった、非常に形容しがたい印象を受ける。そんな複雑な魅力にあふれるOsamu節、特にこの曲については、秒ごとに区切りつつ、一節一節を言葉で形容するのは控えよう。是非ともCDを手に入れて、その耳で確かめてもらいたい。

M5: Mes petites Inventions

これまたボーカル曲。タイトルはもちろん、歌詞はすべてフランス語で歌われている。英訳で、My tiny inventions つまり、私の小さな発明。基本的に音楽の魅力は歌詞に非ず、歌詞は文学だと割り切る僕なのだけど、彼の歌詞は文学的に見ても、僕のお気に入りセンスだ。Piosenka同じく歌詞が用意されている。ページ下部のリンク先が日本語訳になっている。この曲はシャンソン、というか、ジャズ的雰囲気を醸す曲だ。しかし、きちんとverseとchorusに分かれ、さらに1番と2番があり、かつ間奏の後に大サビが来る辺は、ポップスの王道的アプローチでもある。
最初はピアノのガツンガツーンというアタックから*14。取りあえず平歌Aはオケがベースのみのシンプルな構成。シラブル*15の区切りが丸っこいフランス語は、このリズミカルなメロディに非常に相性良く収まっている。途中から(0:16)ピアノとドラムが参加し、今後ほぼ全編をピアノトリオで通奏する。平歌が終わると(0:29)、イントロのピアノアタックに似たメロディ運び。ここでもシラブルを活かした歌詞使いが素敵だ。怒るというよりは諭すような歌い口が、耳の中で跳ね回る。
1番2番と通して来て、間奏およびソロへと入る(1:46)。突如としてコード楽器がオルガンに変わる。オルガンというせいもあるだろうが、夜明けとともに、徐々にステンドグラスの模様が浮かび上がってくるような、荘厳さを感じる。そして、ブレイクを終えたベースとドラムが控えめながら復活し(2:00)、オルガンの終焉とともにピアノが再登場(2:14)。それをきっかけに、ベースとドラムも1番2番同様に生気を取り戻す。あと何気なく聴いていると気付かないのだが、同時にコンガ*16がここに来て初参加。スネアの少ないドラムの合間を縫って活躍する。ピアノソロはしばらく続く(2:53)わけだが、今回は厭味すら、興奮をあまり感じさせない、前述のPiosenkaに比べれば、むしろ淡々としたソロプレイが繰り広げられる。いや、稚拙というわけではない。普通ソロプレイといえば、なにかしら派手さをアピールするわけで、もう少しジャズチックであってもおかしくないのだが、もちろんシンコペーションもありつつ、どこかおとなしい。そして、それはやはりヨーロピアンなセンスに基づいているのではないだろうか、と思う。Piosenkaのソロがリズムのソロであれば、こちらはハーモニーのソロなのだ。

M8: Patrick's Wings

これは英語の歌詞だ。現在web上にはこの曲の歌詞は掲載されていないが、その歌詞は出だしがセンセーショナル。出だしだけ引用させてもらうと、When the long operetion was over with painである。直訳すれば「長い手術は、痛みと伴に終わった」である。いきなり手術である。そんな歌、今までに聴いたことがない。もう、そのツカミだけで、僕はこの歌詞の虜になってしまった。ほんと珍しいことだよ、歌詞に惚れるなんて。
初っ端(0:00)からピアノとボーカルが合わせて歌いだす。そのため、ライブでやるには歌い手とピアノがよほど息が合うまでに練習を積み重ねるか、弾き語るかのどちらかしかないんじゃないかとすら思う、このピッタリ感。まず平歌Aをピアノ独奏で伴奏するのだが、コードだけではなく、オブリガートが附随するわけだが、このオブリ、ボーカルのメロディーラインを押さえたり押さえなかったりで、とっても技巧派だ。展開部分(0:32)でピアノはアルペジオになるからその補完のためなのか知らないけど、薄くストリングスが入る。さらに展開部分は途中(0:43)で転調し、聴き手の緊張を引き出す。それが終わると、いよいよchorusである(0:54)。ピアノに加え、ベース、ドラムのピアノトリオ編成に。
突如(1:23)イントロも何も挟まず2番の平歌へと突入。*17取りあえず、平歌の歌詞は1番も2番もセンセーショナルだ。是非購入して歌詞をチェックしてもらいたいもの。1番と違うのは、ドラムもベースも継続参加中というところ。
2番平歌が終わるとchorusへ突入かと思わせて間奏へ突入(1:55)。良い意味で聴き手の期待を裏切り続けてくれる演出は流石だ。間奏とはいえ、ボーカルは「La la la...」と歌い続けるわけだが、ところどころこの歌詞の象徴的な単語を例えばwings are... la la la...とか、間奏の最後にboy who got 〜などと挟んでくるあたりが、単に「ららら〜」と口ずさんでいるだけとは大違いの、味な配慮ではないか。こう言うと「ららら〜」と歌っているだけの歌手は無精者だと聴こえるかもしれない。いや、無精者だと言っていい。もう既にOsamuはやってしまったのだから。
ようやく2番サビが登場するが、これはほぼ1番と同じ。ただ、サビ終わり直前の歌い方が、妙に口を丸めたようになっていて、これから再び大サビへと繋げる前の間奏に対する、一種のフィルインにも聴こえる(2:42)。
そして間奏である(2:45)。1番で少し登場したシンセストリングスがここでようやく再登場。トップノートをオブリガートで踊らせつつ、コードを引き受けている。ひとしきりストリングスが歌い終わる(3:00)と、ピアノが再参加するが、これまたヨーロピアンなソロプレイ。演奏者が全員揃った時点で、大団円を迎えるべく、大サビへと突入するのだ(3:15)。
歌詞の内容はどのchorusとも変わりはない。それは大サビでも同じだ。ただ、特に洋楽曲に多く見られる手法だが、大サビでは、主旋律のメロディを微妙に外して、微妙に印象を変えることがある。そしてそれはこの曲にも言えるのだ。ストリングスが加わったことによってより音の深みを得た曲は、百花繚乱の花道を、終焉に向かって一歩一歩歩んでいく。そして、最後の繰り返しのサビだけは、ピアノだけが伴奏となり(3:44)、オブリガートも概ねボーカルを押さえつつ、静かに、穏やかに、1人の少年にまつわる一大叙事詩を歌い上げたこのワルツは、ついに終幕する。

M9: Liberation

馬に乗ってやってきたかわいらしい一人の少女が、あぶみから足を外し、地面に降り立つ。そんな麗しい姿を僕に想い描かせたこの曲のイントロは、次の瞬間、全く180度反対の世界へと突き落としてくれる(0:06)。
この曲はインスト曲だ。概ね彼の曲の場合はインスト曲が好きなのだが、なぜかこのアルバムではインスト曲の好みは1曲だけ。しかも、桁違いにOsamu節炸裂なのだ。いや、もうOsamu節とは呼べないかもしれない。既に発狂済みなのだ、この曲は。
ジャズやバロック、そしてマイナー調のラテンを得意とする彼には珍しい、敢えてジャンル分けするならばプログレ的な曲である。そしてプログレらしく、全編通してソロプレイかと思わせるような、早弾きの連続。しかし、それにしては狂おしい。まだ、女に捨てられたから発狂したというような、そんなものなら生易しい*18。これは明らかに理不尽な発狂、という感じがする。そして時々正気であるかのように垣間見せるからタチが悪い。それは間奏で見ることが出来る(1:15)が、基本的には全編通じて全力疾走の全力発狂である。
ピアノとドラムだけというシンプルな構成だが、ドラムはキックとタムがほぼメインで、その低音達が醸し出すマッドさがこの曲の狂気を示すには十分だ。
ただ、唯一の救いと思われる部分はエンディング(2:33)だ。ここではドラムがブレイクし、ピアノは一気に高音部まで駆け上がる。そして早弾きだが丁寧なアルペジオで、高音を愛撫し続ける。それはまるで、これまでの狂気に満ちた全編が浮かばれない霊魂を表し、そしてそれを鎮魂するかのような安らぎを感じさせる。昇天して、この曲は終わるのかな、そんな期待とともにアルペジオは静かに止む(2:44)。しかし、その期待はあっさり裏切られ、僅か1秒の後(2:45)、奈落の底へ落とし付ける、ピアノの豪快な和音が3つ、そして極め付けは、銅鑼が鳴り響き、本当の、ジ・エンド。
この曲から感受するもの。それは同じアルバムに収録されている他曲とは比べ物にならないほど少ない。いや、少ないというよりは、僕が理解出来ないのかもしれない。だが、その溢れるエネルギー量、疾走感は、このアルバム内随一だ。僕が理解出来ないというのは、この曲から感じる狂気によってかき消されているのかもしれない。もしその狂気をめくりとってみることができれば、この曲に新しい発見があるだろう。そう願いたいものだ。それまでしばらく、じっくりこの曲を聴き続けてみよう。

*1:一種のソナタ形式と見てもいいだろう

*2:シンバルやハイハット

*3:リフである場合も

*4:ジャケットに middle part reinforcement on "LibraNegra" by TaQと書かれている。

*5:実際にはシンセでそれっぽい音を作っているのだろうけど

*6:副旋律

*7:楽譜を作るソフト、とでも考えてもらえれば。

*8:なんか、矛盾しているような気がするな、この表現。

*9:オケのテンポは倍だが、メロディのテンポはそのままにするという、アレンジ手法のひとつ

*10:もちろん、ポーランド語で書かれたものは見つけることができたけど、、、まあ、ね。読めないし。

*11:略称:シンベ

*12:例えば、ピアノを押した瞬間の音。ピアノや弦楽器は、鍵盤を押したり弦を弾いた瞬間の音が最大音量であり、その後音は徐々に減衰していく。

*13:その割には全然古めかしさを感じさせない。

*14:どうでもいいけど、ライブで椎名林檎の本能をやったときも、出だしのSEを手持ちの機材で再現不可なため省略した結果、同じようなガツンガツーンという始まり方になったなあ

*15:ラテン系言語の単語にある、音の区切り、というかなんというか。シラブル、なら、シラとブルに分けられる、っていうか。誰か詳しい人説明してください

*16:ボンゴかも?

*17:まあ曲の出だしもイントロは無かったから当たり前と言えば当たり前なのだけど

*18:彼の曲、Estellaとか、Red Nikitaとか?