久保田修「piano_fetish(ぴあのふぇち)」
10月3日、大阪駅9時10分発の東海道昼特急8号にのって、一路東京へ。天気がよくて、こんな日に東京へ行くのは間違いだ、もっと自然溢るる場所で太陽の光を感じたい、つまり遠足へ行きたいなあと思いながらも、バスは予定ダイヤより30分おくれで、夜の帳が落ちつつある、東京は八重洲口に着いたのでした。
バスがすでに30分の遅刻ということで、すぐさま中央線に駆け込み、新宿へ。本当は忘れたメモリースティックDuoのアダプタをヨドバシなりなんなりで調達したかったのだけど、その余裕なく小田急へ。各停に乗り、代々木上原到着。
ライブ会場であるMUSICASAというライブハウスへの詳細な道順を調べ忘れていたので、少し迷う。いくらCLIEでMapionを眺めてみたとはいえ、細かな番地までは把握できなかった。失敗。近くのタバコ屋さんのおじさんに、場所を教えてもらう。
到着した時は6時15分ぐらいで、開場にはまだ少し時間があったのだけど、既に30人以上は並んでいた。やっぱりその手のゲームをよくされていそうな人たちが多かったけど、意外にも割りとフツーな人も多かった。僕の前に並んでいた人は、50代後半から60代の上品そうな御夫婦で、どういう関係の方なんだろうかと思っていたら後で分かったんだけど、Osamu先生の御両親のようでした。自分たちの息子がささやかとはいえ、これだけの人数に注目を浴びるような人物になって感慨深いのではないだろうかと、余計なおせっかいを考えたりもする。まあ、実際、極上の親孝行だとは思うけど。
開場後、席取りへ。まあ、独りなんで楽は楽。並ぶのが少し遅かったので、Osamu大先生の指裁きが見える位置ではあるものの、少し離れた場所。荷物を置いて、ワンドリンクをいただきに。いろいろあったけど、赤ワインがあったので、それをいただく。ワインの味は分かりませんが、渋かったです*1。いや、おいしいんですけどね。が、ほとんどすきっ腹だったため、酔いの回りが素晴らしく、開演以降の記憶はいい感じにぼやけました。というわけで、詳細な曲名とかは覚えきれんかった。メモでもとるべきだったかな。
たしか、1曲目は知らない曲で、うわさの韓国ドラマ用に書き下ろされた曲らしい。曲名失念。2曲目はたしかSnow in Saigonに入ってたやつかな。その後、ビーフステーキタルタルともう1曲あって、カヴァーが2曲*2。たしかその後、スエナガゴウ氏*3の映像に、Osamu大先生が即興で音楽をつけるという、非常に興味深い出し物を見せていただきました。スエナガゴウ氏は知人にとても雰囲気が似ていたのでビックリしたのだけど、そのいでたち立ち振る舞いからも、そのセンシティブさをひしひしと感じた。
その出し物のテーマは「night watch man」だそうで、直訳するの夜警、だそうな。その言葉の意味は「気づく」ってことなんだって。肝心の映像は、パッと見一瞬なんだかよくわからなかったけど、すぐに黒光りする水面?のようなところに、光が降り注ぎ、小波がゆらゆらと、その光を照り返しているような、とっても静かな画だった。カメラがゆっくりとその水面を舐めるようにパンし、最後にカメラは水平線を超えて終わる、といった感じの映像。night watch manという言葉にだまされてか、夜闇の水面かと思いきや、水平線を超えるあたりで、ちっとも夜じゃないことに気づく。は、これが気づくってことなのかな*4。
第1部の締めは、Vienna。あまり好きなほうではない曲なのだけど、ライブバージョンということで、長くエロく披露していただきました。
第2部からはバイオリン、チェロ、二胡の変則三重奏が参加。1曲目はアカペラで2階ドリンクコーナーから歌いつつ降りてくる大先生。その名も「Patrick's Wings」!*5 サビだけ歌って、2番からは変則三重奏をバックに浪々と。ピアノが入らなかったのが残念ではあるけど、この曲が聴けただけ、もうこの旅の目的は半分達成されたような。
その後は何曲かあったと思うけど、失念。バイオリンとチェロの方が演奏されたりとか、二胡の方が演奏された中国の曲*6でアドリブセッションとか。
最後のほうで、さらに僕の興奮を掻き立ててくれたのが、バイオリン、チェロに加え、ピアノ弾き語りで「Piosenka」! 生で聴けてよかった! 本当によかった! 生きててよかった! でもひとつ残念なのが、あのCDでは後半に挿入されている怒涛のOsamu節がなかったこと、、、 まあ、ドラムトラックなしにあのソロっていうのも味気ないかもしれませんが、、、
その後だったか、これまたSnow in Saigonより、「Larmes de la lune (月之涙)」。彼のMCによれば、極寒のポーランドにて宿屋を探している最中、あまりに寒くて走馬灯が見えてきたときにできた曲だとかなんとか、ユーモア交えて解説いただきました。冷たい曲だとは思ってたけど、ここまで酷寒だったわけですね。
第2部の最後の曲も終わり、続いてアンコール。どうでもいいけど、アンコールの拍手が途中で弱まってしまい、このまま拍手が鳴り止んでしまったらどうしようとちょっと心配した。
再び彼のMC、ここは*79時までらしいので、倍のテンポで弾きます
と前置きし、なんとあの怒涛の階段曲Carezza*8! 左手は和音ではなく、ベース音を押さえるのみだったけど、あの右手を倍テンポは流石大先生! 途中バロッキーになる部分とかは通常テンポに戻ったり*9、演出たっぷりに弾いていただき、ただでさえ短いこの曲は、嵐のように、刹那の間に過ぎ去っていったのでした。
今回初めて彼の出演するステージを生で見せてもらったわけだけど、あらためて、Osamu節というか、よくもあれだけ指が回るものだなあ、と思った。単にその事実に感嘆したのではなく、あれだけの運指に至るまでの彼の人生は、一体どんなものだったのだろう? もちろん、音楽の鍛錬という意味では血を吐くような努力もあったのかもしれない。けれど、それだけでは、あれだけの人数、そして世界中にいる彼の曲に魅せられた人々の心を鷲掴みにするだけの曲を書くことはできなかったんじゃないだろうか。血反吐の鍛錬だけでなく、トータルとしての彼の人生の分厚さ、そんなものを、88段もの音の階段を縦横無尽に駆け巡る彼の指から感じるなあ、と、ほろ酔いの代々木上原で思ってみたのでした。