今日という一日

今日という日を端的な言葉で表現してみると、自分の器量と度量の狭さを目の当たりにした日、ということになる。そう、相当凹まった。今の自分に甘んじている自分も再発見した。
今日のこの日を鑑み教訓とするなら、今後しばらくは猛省の日々となるだろう。もっとも、今までの自分を振り返ってみれば、教訓として活かせるかどうかは疑わしい。しかし、もし教訓となるならば*1、今日のこの日、2003年の10月10日は、我が人生における、ルサンチマンの第1日となるだろう。

*1:教訓とする、と約束することはできない。少なくとも確証はなくとも、自信すらないものを約束することは、僕にはできない。