女性の写真についてあまり高く評価出来ない僕。
freeplay@blog「女高男低」経由、EOS Kiss Digitalから見えてくる、写真の「女高男低」。
基本的に、写真というのは作家性を生み出しにくい媒体だと思っている。故に、作家性を既に自分のものとしているカメラマンは、それなりに尊敬の念には価する。しかし。
この大芸で教えてるという人が書いた文章は、
- 男 → ロジカルで退屈な写真
- 女 → 感性あふれる撮り方。機材や論理に固執しない
というような論調。男性はロジカルで、女性はそれに固執しないというのはわかるけれど、それ故に男性の撮る写真のほうがつまらなくなってしまっている、というのは言い過ぎだと思う。
Fotologをはじめてしばらく経つが、自分のことをその人のファンと言えるまでに魅せられたFotologgerというのは少ない。あえてこの場で挙げるとすれば、sohoさんとatcy7さんか。残念ながら、女性のFotologgerで心底惚れ込むような作品を撮る人には、まだ出会えていない。
女性はわりと日常の風景を切り取るのにカメラを使うみたいだし、Fotologgerの中にもそういう写真を自分の日記がわりに使っている人も多い。しかし、Fotologとして、或は写真として鑑賞する立場からしてみれば、それは必ずしもおもしろいコンテンツとは言えない。写真を撮るという以上、何かしら被写体に心の琴線を掻き乱されたからカメラを向けるのだろうけれど、あまりに日常を乱発した写真群だと、カメラを向けさせた動悸の価値が薄まってるように思えてならない。女性は安易にシャッターを押し過ぎだと、僕は思う。
他の男性がどうなのかは知らないけれど、少なくとも僕は写真を撮るときのルーチンとして、
- ある一定以上の感動を得ないものにはカメラを向けない
- 被写体の選定が決まったら、その被写体が一番効果的に写るアングルや露出を徹底的に考える
- そして、その条件が整うまで、天候や時間を定めてひたすらシャッターチャンスを待つ
の3つをこなす。もっとも、第1段階だけでシャッターを切ることもあるが、それはあくまで「押さえ」的なもので、それが最終的な目標であるというわけではない。
少なくとも、僕のような撮影や被写体に対するアプローチを以て写真を撮り続けなければ、自らの作家性というのは生まれてこないと思うのだが、どうだろう。