トーカバウトマイカメラ vol.1

レンズからちょっと趣向を変えて、カメラボディについて語るとする。
PENTAX K2
これは僕の記念すべき一眼レフカメラなのだけど、別になんとなく薦められて買ったとかそういうんではなくて、熟慮に重ねてこれを買ったという表現が正しいので、そのあたりのことをつらつらと書いてみる。
これを買ったのは2003年の11月頃だったと思う。それまでにもデジカメを使って写真を撮るという行為はしていたのだけど、やはりマニュアル制御の限界だとか、レンズ交換ができない不便さ、レリーズタイムラグの不満などから、一眼レフへの憧れがふつふつと募っていた。
当時アルバイトをしながら美大を目指そうとしていた僕に大した金の算段はなかったので、いかに少ない初期投資で、コストパフォーマンスのすぐれたカメラを購入するか、インターネットという天啓を駆使してリサーチを重ねた。
まず、当時中古で購入可能な一眼レフのメジャーメーカーは

  1. キヤノン
  2. ニコン
  3. ペンタックス
  4. ミノルタ
  5. オリンパス

といった感じだった。一眼レフにはMFとAFがあり、

MFレンズとAFレンズに互換性が無いメーカー
キヤノン
ミノルタ
MFレンズとAFレンズに互換性があるメーカー
ニコン
ペンタックス

であり、オリンパスはAFカメラに失敗して玉数そのものが少なくMFしか選択肢が無かった。
これはつまり後者のメーカーは古いボディを買っても最新のレンズがつけられ、また新しいボディであっても古いレンズが使える。前者はそれが出来ないということだった。最初に安い古いボディを買ってもレンズはその後購入するであろう新しいボディでも活かせるので、合理的と考えた。
それと、中古にこだわっていたのは先述のとおり金の算段が厳しかったことと、AF中古よりもMF中古のほうが当然安く、さらにMF中古はMF新品に比べ、ボディ・レンズともに圧倒的な市場の広さがあった。

ニコンペンタックスの間での検討

で、最終的にニコンペンタックスでどちらにするか、ということだった。
ニコンには写真学生御用達と言われるNikon FM-2やその後継機種FM3Aなどがあり、自分の中ではこれがなかなか良いな、と考えていた。しかし人気機種であった(今もか?)ため、当時の中古ボディ価格が6万ぐらい、新品でFM3Aを買おうとすると8万ぐらいはしたと思う。そこにレンズ代を上乗せすると、軽く10万は行きそうな勢いだった。当時の自分には10万を出せる余裕はさらさら無く、まあ、ボディとレンズ、5万ぐらいで収まるならと軽く考えていた自分にはショックだった。
当時Fotologという今のFlickrに相当するようなサイトが流行っていて(Fotolog自体は今もあるが)、関西のユーザーたちが集まって何度かオフ会をしていた。その参加していた人の中に、FM-2によく似たカメラを使っていた人がいて、それがたまたまK2だった。
ペンタックスの中古市場をリサーチすると、ニコンの7割から半値ぐらいの値段で推移していて、さらにレンズの玉数がものすごく豊富だった。状態のいいのから悪いのまで、懐具合に合わせて選び放題。(昨今はKxDシリーズの売れ行きの良さに中古レンズ市場は値上がり気味らしいけど)
自分にはペンタしかないと思い、メーカーの選定が決定した。

Kシリーズを選ぶ所以、Kマウントとの出会い

単純に言えばK2を選んだのはその人が使っていたから、という理由が大きくて、何かわからないことがあればその人に聞けばいいや、的な今思えば安易な考えだったと思う。
が、後々知識を得るごとに、これを選んでまずまず正解だったんじゃないかと思えるようになってきた。

  1. 露出計内蔵
  2. 絞り優先オートが使える
  3. Kマウントである

1については少々情けない話かもしれないが、ポジを入れて撮る時の安心感は、それが在るのと無いのでは雲泥の差がある。絞り優先オートはスナップの時は重宝した。今デジ一を使う時も大体このモード。で、重要なのはKマウントだった。これがあったから、今の自分があったと言っても過言ではない。
K2をはじめKシリーズ(老婆心ながら、今のKナントカDシリーズじゃない)がKと名乗っているのは、ペンタックス35mm判一眼レフ初のバヨネットマウント、Kマウントを採用したからである。それ以前はM42マウントを採用していて、レンズマウントに直接の互換性はなかった。もしK2よりもさらに安いSPなどを買っていたら基本的にタクマーなどの古レンズしか使用することができず、ペンタックスのマウント互換性というメリットを享受できなかっただろう。もしそうであったとしたら、今の自分はまた違った人間だったかもしれないと思えるほど、自分には決定的なマウントだった。今思い返せば、そういう意味もあってその知り合いはKシリーズ以降を買え、と言ってくれていたような気がする。
ちなみに、Kシリーズ以降はマウントアダプターKというアダプターをはめることによって、M42マウントのレンズも使用することができる。これは現代のKxDシリーズにも受け継がれてる、ペンタックスの大切な伝統である。
Kシリーズ以降、MシリーズやSuperAなど、ペンタックにはいくつかのMFラインナップがあるのだが、MシリーズはMX以外、ダイヤルでのシャッタースピードの選択ができない、或は絞り優先のみだったり、SuperAも同じようなもので、あとシャッタースピードダイヤルを備えているMFボディというとLXぐらいしか思い浮かばないが、LXは今もそうだけど高値の花だった。

K2の思い出

先述のM50mm/1.4のレンズとセットで、4万5000円ぐらいだったか。大阪駅前第1ビルにある某カメラ店で、恥ずかしいのを承知で「写真をはじめたいんですけど」的な青年を醸し出しながら、店員におそるおそるガラスケースのなかに鎮座するK2様を指差した。「知り合いがこれ使ってて、、」といろいろ話すと、恰幅のいい初老の店員が被写界深度や露出のことを教えてくれて、とりあえずは絞り優先で撮ればいいと教えてくれた。
最初はネガだったが、すぐにポジを使うようになり、かつて広告業を営んでいた父の事務所に、打ち合わせで使われていたレンタルのマウントポジと同じものが自分でも撮れる、そんなことに感動を覚えていた。
美大を受験した時も連れて行った。見知らぬ街のほうが写欲を掻き立てられるものだが、Flickrに上げているこのボディで撮った写真も、おのずとその時のものが多い。
ある時、知り合いと焼肉屋での食事中に店員がお茶をこぼし、テーブルの下に荷物置き場に置いていたK2に直撃した。こぼしたものがカメラであるということにその店員は青ざめ、責任者らしき店員も出てきた。知り合いは弁償させようとしたが、とりあえず空シャッターを切ったらちゃんと降りたし、なによりその青ざめっぷりが気の毒だったので、すべてを不問に付した。
その事件からしばらくして、K2はシャッターが降りなくなり、完全に壊れた。
結局その後すぐにKXを買うのだけど、何にせよ、露出や被写界深度、構図、焦点距離、写真に関する基本様々なことをこのカメラに教えてもらい、それはその後のKXでも学んだ。(絞り優先もあったが)マニュアルで露出とフォーカスを制御し、単焦点で画角を目に叩き込めたことはこの上ない幸福だったと思う。安易にAFのキヤノンあたりに手を出さなくて良かったと思っている。

K2の作例

フィルムタイプのボディで作例を出すことにあまり意味は見いだせないかもしれないが、その当時僕が何を撮っていたかというのを振り返る的な意味も込めて。
静止した闇の中で
美大受験中の投宿先最寄り駅、武蔵小金井にて。Flickrをはじめた当初、ガイジンたちに大人気だった写真。FavStarの数で推してもらえるかと思う。
Golden setting sun
絞り優先の露出補正無しでポジに撮る夕空というのは、見た目の3倍はフォトジェニックに写るので、これもいわば初心者によくありがちな悦にひたった写真だとは思う。
New year faces
望遠レンズのおもしろさなども知った
crashed something bottle
これも美大受験中の上野公園。なぜか白黒フィルムをつめはじめたころは装填ミスが多く、せっかく撮ったのに写っていないという、これまた初心者にありがちなミスを多く犯した。これは奇跡的にそのミスから救われていた1枚。
Chained dog, eyes of fear
美大受験中、国分寺駅前。何気ない犬にレンズを向けようと思ったのは、ビギナーゆえの好奇心と、写欲を掻き立てられる異郷だったからかもしれない。この後、自主的にProduction I.G.の社屋の前を見学して帰った。