有意義に使いたいものです。
昔、小学校で夏休みのしおりなるものをもらったが、そこには毎年必ず、「有意義に過ごしましょう」と書いてあった。有意義の意味は知っていたが、僕は常に自分のしたいことをして過ごしているのだから、自分にとってストレスは最小限に食い止められるわけだし、常に有意義じゃないか、と心の隅で思って居た。(にしても、今考えると、ひねくれた小学生だ)
今日、というよりも、もう昨日になるが、せっかくの水曜日の休日、無駄に過ごした。中学に入って以降、無駄に時を過ごす、というものをだんだん理解してきたと思う。
有意義かどうか、それは人の価値観によってかわるので、定義することはできない。しかしながら、少なくとも、「しなくても良いこと」「やってもやらなくても、結果が変わらない」「やったとしても、結果は大して有効に使えない」ことをしたのなら、それは有意義でないと言える。やはり、やって自他の為になるのが、有意義だと、僕は思う。
ちなみに、1999年9月15日敬老の日の休日、僕は朝起きて、プレステして、勉強して、プレステしていた。そして今、寝ようとしている。有意義か有意義でないか、いまいち判断できない一日だった。