そして私は責めたいのに、責められず慕ってしまうのも彼女なのだ
最近、久保田修ばかり聴いている。メインで聴いているのはestellatin、Piosenka、Mes petites inventions、Patrick's Wingsあたり。estellatinを除けば全部ヴォーカルトラックというのが自分的には珍しい。氏の楽曲に在る醍醐味は、猛烈な指裁きのOsamu節*1だと思っていたのだが、最近はヴォーカルトラックの豊穣な歌詞に惚れ気味のようだ。
Do not smile at me, girlWith your eyes of blue
For my heart is pained
When I see that hue
Do not smile at me, please
With your lips of berry
For sadness rends my heart
Though of you I'm not wary
Another had such lips
And such eyes at play
And she wounded my heart
So that it bleeds to this day
It is she that I always see
And cannot ignore
It is she that I want to curse
But ever adore
特にPiosenkaは前々からのお気に入りだった。が、気に入ってた部分やはりヴォーカルトラックであることや歌詞にあったのではなく、むしろその曲のアレンジの部分にあったと自己分析してみる。Piosenkaは元々Marian GAWALEWICZっていう多分ポーランド人の詩を、久保田修が英語に訳した歌詞が元になっている。曲は1番に英訳詞が、そして2番にポーランド語の詞が来ている。1番は荘厳たるシンセパッドの上にヴォーカルが載っていて、2番はピアノトリオで進行する。2番が終わるとリズムトラックがいきなり倍のテンポで刻みだし、ピアノが猛烈なソロプレイ、つまるところのOsamu節で駆け上がりはじめ、再びサビを叫びだすというアレンジ。特に倍テンポでピアノが駆け上がりだすアレンジがとてつもなく好きだった。
いや、今でもそのアレンジが好きだが、最近ふと氏のサイトにPiosenkaの歌詞が載っているのに気付き*2、その歌詞に恐ろしくも自分と境遇が似ていることにも気付き、どうしようもな胸の窒息感に襲われたわけだ。
日本語訳は、氏のサイト、上記の引用部分からはってあるリンク先に書いてあるので、読んでもらえればより分かりやすいのかな。英語っていうのはどうもこう、味気ない、端的な言語だとつくづく痛感。
ちなみに、試聴はこちらから。とりあえず、英語詞の部分は全部聴けます。つまり、1番だけ、ってことです。wmaなので、マクでWindow Media Player落としてない人にはマズーですが。
かつて戯れにそのような眼と唇を私に見せたものがいた
そして私は責めたいのに、責められず慕ってしまうのも彼女なのだ