破綻と自分のキャパシティ

id:ishibutsu:20040712#p1さん経由、ブロガーに蔓延する「燃え尽き症候群」。簡単にまとめると、イラク戦争をきっかけにはじめたブログに反戦論者達が集まり過ぎ、ブログのオーナーがコメントを返しきれなくなり、コメントの受付をやめてしまった、という話。また、別なブログのオーナーは「楽しくて本当にうまくいっているときは(最高の)気分だ。だが楽しくないときは、だんだんと……9時から5時までの毎日の仕事に行かなければならないのと同じような気分になってくる」とこぼしている。
ブログが日本に紹介されたときは「なにそれ、単なるweb日記やん」程度の認識しかなかった、というのは今日ブログ界隈での語り種になっている。そしてweb日記というか、それに近い形態を持つテクストサイトでも、閉鎖とか更新停止とか、そういうサイトのクローズに対する姿勢についていろいろ長々と論じられてきた。しかし、日本での場合は、例えば私的な日記をwebに置くことということに精神的負担を感じるようになって閉じたとか、そもそも衆人環視であるwebに日記を置くことが間違いで、見られるのが嫌なら最初からサイトに日記なんか書くなという水掛け論があったりするけど、この記事の限りでは、それらはかなり低俗な論議といえる。特に前者のサイトは、コメントが大量過ぎてついて行けない、というもので、サイト(ブログ)そのものは存続している。問題なのは、コミュニケーションの量。
そもそもブログはネット上にある幾多の情報から、関連する情報を結び付けやすいように設計されているもの故に、その集客力は高い。その集客力の高さも、ブログの魅力だったはずだ。イラク戦争という時事ネタにのっかったとはいえ、そのブログオーナーも予想外だったと思う。とはいえ、ブログには過多のコミュニケーションを制限する機能はない*1から、結局コミュニケーション量の調整は、ブログオーナーの人的操作に頼らざるを得ないわけだ。集客、集情報能力は長けているのに、過度のコミュニケーションを制限するのは人間の采配次第、というのは、なんとも皮肉な話だと思う。
僕は中学生のころからネットに片足を突っ込んできたわけで、言うなれば物心ついたころからネット環境がある生粋のデジタル世代なわけだけども、言い換えれば、俗に言う青春とかモラトリアムといった期間にもネットというツールがあるわけで、その上で色々な企画とかオルグをやったこともある。しかしそこは中学生高校生なわけで、誰しも若気の至りはあるように、辛酸を嘗めたこともあったし、無かったことにしたい失敗もいくつかある。web日記にしてもブログにしても、何かを切り盛りするっていうのは大変なこと、ということだ。
だから、ブログをはじめるということは*2輪にかけて大変ということなのだけど、その辺、ブログ創世記の頃からやっていて今や大手とか言われるようなサイトを切り盛りしている人と、昨今のブログサービスの流行でweb日記と対して変わらない使い方をしている人との間には、認識に大きな違いがあると思う。

*1:あえていうなら、そのコメントオフ機能ぐらい?

*2:まあその規模にも依るけど