人生のバブル期を垣間見た日

金曜日、友達のタケシんちへ泊まりがけで遊びに行ったわけですよ。あ、マオも居たっけねえ。これも友達。学校の。別に何かをするわけでもなく、タケシの家の部屋でまったりと過ごすんですが。まあ、タケシの部屋は仲間内でも結構評価の高い、落ち着きのいい部屋でして、こう、時間をつぶすのではなく、ただ純粋に時間を過ごすためには、至上の部屋なんだけど。
で、次の日、もとかって女の子がタケシの家に乗り込んで来て。1年後輩の女の子なんですが。4人でリサのホームパーティーへと出向きました。リサっていうのは、うちの学校のネイティブの先生で、色々あって、解雇になった人。まあ、クビです。土曜日はリサを囲んでのホームパーティー(といっても、みんなでカレー食べて飲んでただけですが)をしたんですよ。
でまあ、タケシとマオともとかっていうメンツは、お世辞にもあまりスマートというか、クレバーなたちの人種じゃないですよ。結構その場その場のノリで動いてるというか。まあ、僕も結構そういう方向性みたいなものは持ってるんですが、妙に細かいというか、底辺というか、些細なことは、結構キッチリやってかないと気分良く無い人間なんです。というか、A型? あんまり人からはA型とは当てられないんですけどね。いい加減人間だし、ダメ人間だし、部屋は汚いし。
んでまあ、リサの家は京橋にあるって話を聞いてたんですがね。でも、京橋からめっちゃ歩くと。まあ、後から聞いた話っつうか今調べたら、余裕で一駅以上歩いてるんですよ。これがまた。はあ。
実はうちらが最後にリサの家に行くグループだってことが携帯で向こう側の到着組と話していたので、なんか食べるものの材料買ってこいと。ちょうど京橋の駅付近にAプライスがありましてですね。まあ、このAプライス。卸し専門のスーパーで、一般pepleにも売ってくれるという、とてもナイスなスーパー。そのかわり、ひとつのパッケージがとてつもなく大量なので、レジで支払う時にはあまりお買得感は無いんですが、まあ、今回のように、大人数で食事する時とかにはいいんじゃないでしょうか。カレー+デザート+酒+枝豆で、1人頭だいたい800円で済んだからね。うん。あ、酒はコンビニで調達したけど。
んなことはどうでもいい。脱線しちゃったよね。うん。で、雨降ってたんですわ。雨。で、傘持ってなかったんよ、うちら4人。いや、厳密に言えば持ってたんだけどね、僕。折り畳み。でも、折り畳みってしまう時めんどくさいっしょ。それが嫌だったんで、あえて出さなかったんです。結構雨降ってたけど、みんな気にせず、雨に濡れながら重い色材を持って一駅以上もある距離を歩いたわけです。そうそう、荷物持ちゲームやったりしながらね。電柱3本過ぎたら、ジャンケン。そんなことしながら、ギャーギャー騒いでたわけです。
で、到着してからも、いろんなメンツがいるわけですよ。このarticleにも何度か名前が登場してる某Aとか。1つ下の学年の子とか。酒飲んでカレー食って。ベランダでたばこ吸って(僕は吸いませんが)。もとかはキックザカンクルーが好きなんだけど、シェイン(リサの旦那)は日本のヒプホプは嫌いだとか。久保田サン(リサ夫妻の同居人)はちょっとケミストリーの堂珍に似てるよね、とか。そういう話に終始したわけです。そう、お泊まりだね。若者達の集まる。
次の日の朝、みんなゾロゾロと駅まで歩いたんだけど。僕と某A君は最後尾を歩いてたわけなんですが。まあ、みんなの後ろ姿が見えるよね。それ見ながら「青春の1ページだねえ」「昨日雨の中ずぶ濡れになりながら重い食材運びながらギャーギャー騒いだよ」とか言い合ってました。タイへ言ってた時から僕と彼との間での正に今限りのキーワードとして「青春の1ページ」っていうのが大流行というか、ちょっと前に博報堂「広告」誌がうんざりするほど叫んでた「スーパーフラット」とか「スクエア」とかそういう類いのキーワードというか、エセ・スローガンみたいなもんですけど。ええ。
まあ、彼はどうなのか知りませんが、こういうステレオタイプな青春のシーナリーの中に自分が登場し、それに酔いしれるというのは、僕の人生の中で、あまり無かったからね。これが公立のフツーの高校生とかだったら、週1か週2ぐらいの割合でありそうなんですけど。でも、こういう青春の渦中に居る自分に酔いしれる快感を、少なくとも彼も感じ取っているので、やっぱり彼もこういう経験はsく無かったんじゃないかなあ、と勝手に推測してみたりするんですが。結構似た者同士だし、とこれも勝手に自負してるんですが。
日本人が経験したバブル期とその崩壊。それはまあいろいろな要因があるにせよ、土地神話にすがりついてたもの、と定義しておき、かつそれを人生に置換するのなら、青春はまるきりバブルと同じではないだろうか。土地神話は自分の体力神話、とでも言えるだろうか。体力というのは、必ずしも文字どおりの体力だけではなくて、精神力とか、そういうのも含めてなんですが。
戦後すぐに今の日本が0歳であったとして、80年代がまさに青年期であったとすれば、この先日本はそれほど老い先長くないんじゃないだろうか。青春が人生の中で一番楽しい時期で、その後はもう傾くばかり、という考え方が正しいとすれば、やはり日本ももうこれからは落ちて逝くばかりなんじゃないだろうかと、そんなことを、リサの家のベランダから、伊丹空港へ着陸コース(ランディングコースと呼んでくれ!)に入るジェット機を眺めつつ、右手に握られたサントリー・カクテルバーの内溶液(含アルコール)を喉に流し込んだ後で考えてみたのでした。
夜中、某A君はしきりに大学受験が終わったらバンドする。超かっこいいバンドをやる、と言っていました。シェインも久保田サンもバンドマンなので、そういうノリになる影響とかあったんでしょうけれども。でも、彼の大学受験が終わったら〜 の発言は、僕が今常に思ってる、「(僕の)大学生活が楽しいものになるとするのなら、それはきっと僕の第2の青春」という考え方とどこか似ている気がしたのでありました。
公立のフツーの高校生が云々という話はさっきしたけれども、あの場にいた10人近くの学校の友達は、某A君と自分を除いて、やはりフツーの高校生のほうに分類されるワケです。その中に居て、別に自分達二人は特に垣根を感じてたわけではないし、他人から見れば余計、自分達2人に対してはボーダーレスに見えてたに違いない。けれど、ふっと、自分の思考を切り替えた時、とても高い垣根を感じてしまうのでした。
まあ、普通の青春系女の子ライターのグタグタ日記なら、ここらへんで「何で自分は他人と違うんだろう」とか「壁を超えるにはどうしたらいいだろう」とか自分で問題提起しておくだけで終わってしまうんですが、僕はそんなことはしません。そんなことしたって、生産的(本人の精神部分に対して)なように見せかけておいて、実は全然非生産的(本人ではなく、読み手側に対する実際問題として)なわけで、自分としては、どうせなら、最初から非生産的にとどめておこうと。なので、事実だけを述べておきます。カレー食って酒飲んだ。どしゃぶりの雨の中、ギャーギャー騒ぐのが楽しかった。そして酔いしれた。酔いしれた自分を再確認した時、同時に壁も感じた。けど、だからそれがどうした、って話じゃない。そんな話はクソ食らえ。事実をあるがままに受け止めるのが、一番楽なんじゃないの?