ベスパの女

まあ一般論から言うと、「おんな」ではなく「ひと」と読んでいただきたいところ。
自宅からTSUTAYAまでの道のりと途中、戸建ての住宅地の中に空き地があるのですが、その空き地の前によく、白のベスパが駐めてあるのです。
ベスパといえば、映画「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーンが2ケツし、黒づくめにブロッコリー頭の私立探偵が乗り回したという、オサレさん御用達の原付。こんな僕でも、近い将来、いつかは愛機にしたいと思っているので、兎角街中でベスパを見つけてはジロジロ眺め回すのですが、この白いベスパはいつも同じ場所に駐めてあるので、いつも気になって見ていました。
もちろん、そのベスパは空き地に置き去りにして捨てられているわけではありません。時間帯によっては見かけないときもあります。最近になってわかってきたのですが、どうも夜間や休日は比較的よくそこに駐めているみたいです。とすれば、当たり前のことですが、オーナーは日常の足として使っているのでしょう。しかし、何もない空き地に駐めるのはどうも腑に落ちません。
このことがしばらく謎だったのですが、最近僕の中でようやくひとつの仮説*1をたてることができました。先程言った通り、周囲は戸建てばかりの住宅地なのですが、すぐ近くに僕の知らなかった、学生・独身者向けのアパートが一棟建っていました。この辺にアパートはあまりないのですが、2駅程北には関学があることもあり、それなりに需要があるのでしょうか。ただ、そのアパートには駐輪場があり、そこのベスパの主がそこの住人であれば、空き地に駐める必要はありません。
なるほどな、と思いました。ベスパの主は、アパートの住人ではなく、そのアパートへの訪問者なのです。ここのところ、夜はほとんど毎日駐めてありました。普通の友人なら、そこまで頻繁に訪れることもないでしょう。きっと夜を一緒に過ごしたくてたまらない、恋人のものに違いありません。
もっとも、そのベスパの主が女性だとはまだ断定出来ません。ですが、どうも僕は女性であってほしいみたいです。女のもとへ夜な夜な足しげくベスパにまたがってやってくるのが男であるよりかは、男のもとへ夜な夜な足しげくベスパにまたがってやってくる女性のほうが素敵に思えるのです。
例えば日常生活の中で目にする光景は色々あります。おもちゃをねだり駄々をこねる少女を叱りつける母親、車内アナウンスを言い間違えた車掌、電柱にマーキングをする野良犬、隣の家から聴こえる罵声、ヒールが折れてしまって途方に暮れている女の子。それら様々な光景は、あくまで一時のものであり、単なる点に過ぎません。しかしそれが、例えば同じ時刻の電車を使って通勤通学をする人ならわかると思いますが、その毎日の同じ車両、同じ乗車位置に並ぶ面子はほとんどいつも同じです。そこに、日々を超えての連続性が見い出される。僕は最近同じ時間の同じ電車に乗ることもなかったので、久しぶりにその連続性を、ベスパに見い出したのでした。脈々と続く僕の生活と平行して、脈々と続く2人の日々。そんな彼等の毎日の、本当に僅かな片鱗である「白いベスパ」を、毎晩TSUTAYAへ通う道すがら、僕は見つめ続けている。

*1:妄想とも言う