小さな不安と疑念のかけら
専らそのかけらを胸のどこかに突き刺して生活する自分。ふとした時に思い出されるそれ。そのかけらは過去を呼び覚まし、私を追憶の彼方へと連れ戻す。
以前ネットで知り合ったあっくという人は、変な人だった。だが、自分にとってはかけがえのない人だった。彼の思想や芸術嗜好の多くが、今の自分の根底に、脈々と受け継がれている。そう、今の自分を形成する体外遺伝子は、彼無しには有り得ない。それだけ影響を受けた人物。
彼とはチャットで知り合うも、お互いデザインを得意とし、webデザインを追求しあった。当初の僕の趣向と彼の趣向は全く180度反対のものだったが、次第に彼の思想に染まるようになった僕は、彼の路線に歩み寄るようになる。決してそれは二番煎じではなかったが、彼への憧れもまた事実だった。
実際会ってみた彼の印象は、想像とは懸け離れたものだった。容姿の想像はつかなかったにせよ、とにかく顔を合わせて話すということが、とにかく苦手だった。そして、通信制の高校に通っていたという。今でこそ、彼は典型的な引き蘢りだったんじゃないかと思えるが、当時はそういう社会現象のことを知らなかったものだから、ただ単に人付き合いが苦手な人なんだろう、と思っていた。
まあ、当時はNN4.0が登場しだした頃で、IEとの互換性が無くなりつつある頃だった。だが、まだまだスタイルシートという概念は薄く、両者ともNN4を使っていたので、スタイルシートを全面使用することは無かった。(NN4はスタイルシートのバグが多いのだ)だが、どちらかと言えば彼はスタイルシート推進派であり、僕は逆だった。結果、見栄えが同じであれば、なんでもいい、と。スタイルシートでは、HTMLで補えきれない細かな表現を実現する時だけ使用するに留まった。今でもその考え方は変わらない。
どちらにせよ、今のこのサイトのデザインがあるのも、彼の教えてくれた、いろいろなHTML作成の上での小技があるからで、ソースを見れば、どれが彼のテクニックなのかは、見る人が見ればわかると思う。
彼との出会いはおそらく1998年頃だったが、2000年の夏を最後に連絡が途絶えた。そのしばらく前から、彼はサイトを更新していなかった。だいぶ前から、サイト更新に対する意欲は鈍っていたようだが。
彼は僕より1個上で、筑波大を受けると言っていたが、その後どうなったかは知らない。受験勉強の為にネットは断絶したのだろうか。そして受験に失敗し、浪人中なのだろうか。そんな憶測が自分の中をいろいろと過っていく。そして、最後に思い付いたのが、もう既に彼は自ら命を経ったのではないか、という考えだった。
こんなことを考えては行けないのかも知れないが、そう考えざるを得ない状況が揃い過ぎている。まず、彼ならやりかねなさそうな精神状態であるだろうし、そのような雰囲気も見た感じでわかる。何より、ネットが無ければ他人とコミュニケーションの取れない彼が、もう何年も断絶していること自体、おかしな話だろう。
以前彼の家に泊まりに行ったことがある。電話番号は失ってしまったが、彼の家への行き方は今でも鮮明に憶えている。いつか訪ねてみようと思う。